小さい頃の私は
手芸や、お菓子を作ったり、
家の中で何かを作って遊ぶのが大好きな子でした。
当然、運動は苦手、勉強も苦手…
そんな私が運動指導者となったのは、
同じような方に寄りそいたい!想いを届けるためだからかもしれません。
今の仕事に転職するまで、家の中でじっとしている機会が続くと、
すぐに運動不足、少し体重オーバーになったりというのが若い頃の悩みの種でした
運動は嫌いだけれども、バレエは大好きだった私
ストレッチをしたり、少しスポーツクラブでエアロビクスを動かすと
晴れやかな気持ちになり体調が良くなる!!
これは何だろう?深めたい!私も、仕事として伝えたい!
そんなことがキッカケで今の仕事に転職するになりました
ですが、スポーツクラブで元気いっぱい!
イェ〜ィと言うテンションが高くないと…な感じのインストラクター業には馴染めず…
8ビートの音楽を聞き続けると耳がつかれてしまい…
クラッシック音楽が恋しい人だったので、
どちらかと言うとおとなしめの少人数クラスで、
運動があまり得意でない人と語ったりするのが好きでした
今の当協会の雰囲気作り
目指したい教室の姿の原点も、
スポーツクラブで働いていた時に感じた違和感居場所づくりを実現しているのかもしれません
運動が苦手な方も、
少しカラダを動かすとココロもすっきり気持ちよくなります
おうちの中でできるリボーンバレエや
大人バレエストレッチのメソッドでご自身でセルフケア。
インドアの生活の合間に、
オンラインレッスンで一緒に元気になってもらえたらなと思っています♥
今までの話
ここまで、子育てと並行しながら運動指導を続けてきた私でしたが
20年の無理がたたってか、最初は膝が痛くなり、かばっているうちに腰が痛くなり
激しいギックリ腰の為、寝たきり状態で数週間、仕事を休むことに。
一生、「運動指導の仕事を一生続けたい!幸せ♥」
と思っていた私に、訪れたはじめての試練
カラダを動かす仕事は有限なのだ…と初めて気が付きました。
その後、膝や腰が回復し仕事を再開するにつれ、
今までの子育てと両立してきた仕事での経験を
「同じように、何かスタートしてみたい!
と、悩まれる方に伝えたい〜誰かのお役に立つかな?」
と思うようになりました。
の根底には、
私の仕事を始めた時期は、
「女は、結婚や出産の後は家庭を守ることが
一番大事な仕事」という昭和的価値観からの過渡期で
そんな不安感を共感し一緒に語り合える仲間が欲しかったんだ‼︎

自分の仕事に共感下さる方は、どこにいる?思いをどうやって伝えたら良い?
これをひとまとめにして
「自分のやってる活動を表現できる看板のようなものを作りたい」
と言う気持ちになって行きました
起業と言うにはほど遠く、なんの知識も無いまま、
ただ
自分の思いを伝えたいと言う気持ちだけで考案したのが「椅子ヨガ、リボーンバレエ」
2015,9月のスタートでした

「おウチの中や、仕事の合間にでも運動することによってカラダの改善ができる」
と言うコンセプトで始めたのがカフェでの椅子を使ってのお食事会+リボーンバレエ体験の会
3回ほどのイベントを企画し、たくさんの方と交流することができました
ただ、「このまま少しずつ、ゆっくり活動を広げていけば良い」
と思っていた2ヶ月後、
また、突然の試練…
公共施設のレギュラー仕事1つと、10年続けた産婦人科の仕事が
急に契約解除となり、月収が3分の1ほどになりました。

今、思い返すと、この出来事でスイッチが入ったのですが、
「リボーンバレエ」をメインで
キチンと仕事にしなければならない!」に追い込まれ
起業塾を受講したりや、SNSの学びがスタート。
パソコン操作も分からず…
「女性講師養成講座」を受講し、
Wordやパワポの使い方を一から学びました。
第3の子育てとして「萌ちゃん育成計画⁈」
その後、起業から7年
私の事業が、
誰かの必要と思って下さる方の役に立つ!
今までの話
↓
さて、子供を産んで4ヶ月の時に
阪神淡路大震災が起きました。
その後に、数ヶ月後にオ○ム真理教の
事件が次々と起き、娘を抱きながら、悲しいニュースを不安な気持ちで見つめていました。
特に、とても学歴の高い方が凶悪な事件を引き起こす
平気で人を殺めることを起こしてしまったのか?
どうしたら、
自分の子どもが笑顔で幸せな毎日を送れるように育つのか?
答えが見つからなくて、悶々としていました。
又、転職、出産を経て
少しずつ再開を始めた運動指導の仕事ですが、母との関係は和解したものの、
「子育て優先は当たり前でしょ?
貴女の仕事なんて、趣味だよね‼︎」
と、言われ続け、
少しずつ、公共施設や産院での運動指導が増え、
私の仕事を喜んでくれる人の手ごたえが出つつも、
母に認めて貰えたのは、下の子が高校を卒業した後。
20年以上の時間を経て、やっと。
母が認知症を患い、骨折で入退院を繰り返すようになって、ようやく…でした。
とはいえ、母が亡くなるまでに認めて貰えたのは良かったかもしれません。
そんな経緯もあり、
「子育てで、私はどうあるべき?」
「娘達が、やりたいと言ったことは全力で応援できる親になりたい」が、子育ての強い目標
となりました。

子ども達に読み聞かせする絵本を
図書館に借りる行く度に、
ライトな心理学や、子育てエッセイ、
戦後の社会情勢、日本人の宗教観など、
気になった本を、片っ端から借りてきて
読書に励む時間が増えました。
当時は、ネットも使って無かったので、
自分の疑問に思う最適なキーワードを
じっくり考えるため、本を読むようになりました。
これは、勉強嫌いだった私が、
転職して、仕事に必要な専門書や
自分をココロを整える書籍を読む
ようになったことも、
社会人としての大きな変化でした。
私みたいな人でも、
何もできない人と思われていたけれど
やりたい事が見つかったら努力したし、
少しは人の役に立つ仕事もできるようになりました〜
子育て真っ盛りの方に伝えたいメッセージ
リボーンバレエを始めた理由には、
「これからの方に、自分の子育て観や体験を役立てて欲しい」
と思いが大きかった私。
子どもの頃、勉強しなくて
成績が伸びず、嘆かれる親御さんに
私が言いたいのは
「あなたはダメ!できない!」
って、レッテルを貼らないで欲しい。
他の、お子さんと比較はやめて
その子がイキイキすることは何か?
しっかりみて応援してあげて欲しい
これは、娘達の子育てをしながら
自分のお子さんを卑下する親御さんと話しながら、
いつも思っていたこと。
この子はダメ!より
どうやったら、この子が楽しみながらできるようになるかな?
プラン1
あ〜違うか
プラン2
コレはどうだ‼︎
みたいに、考えてたら
自分も楽しみながら子育て子どもの応援、サポートできるし
お互い、愛情が伝わって楽しくなるんじゃないかな?
…とはいえ、
娘達が嫌がる事も言ったし、
反抗期の娘達の中高生時代は、
お互いいっぱいいっぱいでバトってました〜笑
山あり谷ありの子育て…
中でも、娘達のお稽古事に関しては
どっぷりステージママ状態で大変でした。
お稽古事に関しては、又、機会があれば書きますね。
まずは、やっと‼︎
リボーンバレエを起業スタートする直前までの振り返り終了です。
後、ひと息〜書いて参ります。
【今までの話】↓
さて、更にインストラクターになる
子育てに入る以前の
就職からの自分の働き方計画を振り返ります。
ずっと、踊ったり、唄ったりが大好きと宝塚にどっぷり
また、インドアに洋裁や料理が好きだった学生時代
「宝塚に入るなんてムリ!バレエの才能ナシ!」と、
周りや自分も諦めていた私は、家政学科服飾専攻の短大に進学。
卒業後、20歳での就職は
「男女雇用機会均等法元年」に
一流損保での事務職。
年ボーナス3回の優雅な時代でした。
ただ、事務職の能力が低い私は、
残業、休日出勤が続き、今で言うメンタル不調気味で、
「貯蓄をして、25歳にはインストラクターに転職する」と決め、
家を出て、ひとり暮らしとフィットネス業界に転職。
年収は1/4に減ってしまいましたが…
次の目標は、「30歳までにフリーインストラクターとして軌道に乗る」
でした。
この転職に関しては、
周りの殆どの人が
「由香里さんには無理だろう…」と思っていたようで
母には、
「せっかく一流企業に就職できたのに勝手なことを!」
と勘当同然で家を出た経緯があります。
また、現旦那と付き合っていたのですが
会社の同僚から
「彼女が働けなくなった時は、面倒を見る気はあるんか?」
と言われたらしい(←結婚後まで私は知らなかった。)

27歳で結婚するに至りましたが、その頃には
数件のスポーツクラブと契約を結び、何とか収入を得るようになっていました。
29歳で長女を出産するまでに
「フリーインストラクターとして軌道に乗る」
は、一応達成できたかな?と思います。
周りからどう言われようと、
「自分のやりたいをできる方が幸せ」
幼い頃から
「あなたは、何にもできない子だね」
と言われ、取り柄がないと思っていた自分が、
社会人になって変われた体験の10年間でした。
その後は、30歳からの下の娘が高校生卒業するまでは
5年スパンで人生目標設定は封印
子育て優先。
自分中心の人生設計から、
「自分の子どもを育てる・子どものサポートをどうする?」
が、自分の仕事より難しい!!の毎日がスタート!
特に、長女を産んだ年に
平和だったバブル後の大事件
「阪神大震災」と
「オ〇ム真理教」が次々と起きて
どうやって、娘たちを育てればちゃんとした大人になる?
が、私の課題となりました。
子どもの教育についてと仕事観に悩む…
次回に続きます。
前回までの話
今振り返ると、自分でも「甘かった」働き方ですが
フリーランスで幼い子どもを預ける最適な条件が周りに見当たらず
下の娘が幼稚園入園するまでは
週1回のサークル活動以外はほぼ主婦でした。
出産とともに仕事を辞めるのが普通だった時代の子育ては
女性の大半は、出産と共に自分の仕事を諦めることが多かったです。
託児や一時保育等がなかった時代
私も実母、義母とも「仕事中孫を預かる」気持ちはなかったので、
年に何度か、
公共施設の仕事を受けたときには、
ご近所のママに助けて頂いてました。
そんな中、
仕事を受けるときの優先条件
は、「娘たちが幼稚園や小学校に行ってる間の時間に働く」でした。
自主的教室運営とともに、
増えていったのが
公共施設での健康教室と産前産後のママ対象の産婦人科での運動指導でした

フリーランスのインストラクターでは、1本ずつのレッスンで穴を開けない!
が、次回の受注に関わるので、20年ほどの仕事で当日の休講はほぼナシ
こういう仕事の代行者はなかなか対応できず、
自分の体調不良やケガはもちろん
(熱でも、骨折でも動ける範囲で休まない←コロナ禍以前の話)
子どもたちの病気などで休むことがないよう、
講座の数日前から家族全員の体調管理には細心の注意を払っていました。
外部受注の仕事が、子育て中最適だった理由
主婦のパート最適時間に仕事を終えて帰宅。
夕方には、下校した子どもの話しを聞いたり
お稽古事の送迎で毎日追われる状態
小学生までは週に2〜3回の子どもバレエサークル活動にも娘達は参加。
徐々に娘たちは、中高生となり働ける時間も増え
「ずっと、こんな形でやりたかった高齢者や子育てママ達の健康を
サポートできる仕事を死ぬまで続けられたら幸せ」
カラダを壊すまで、そう思って
運動指導を続けていました。
(続く)
![]() | リボーンバレエ&ウェルネス協会 080-5348-6069 10:00〜21:00(土日休) 大阪市城東区中央3-1-4 エクレーヌ橋本202 スクール案内はこちら |